天香山命は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の弥曾孫であり、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)を祖父とし父は饒速日命(ニギハヤヒノミコト)そして、母は天道日媛命(アメノミチヒメノミコト)です。
「高倉下命(天香山命)は、神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレヒコノミコト)後の神武天皇の御東征に先立ち、紀州(現在の和歌山県)熊野におられました。磐余彦尊が賊軍に苦戦されているとき、高倉下命はお告げにより、布都御魂剣を奉り大功を立てられた御方です。
磐余彦尊が大和の橿原の宮で神武天皇として即位されてより4年後、越後地方開拓経営の勅命を奉じて、米水浦(ヨネミズガウラ)現在の三 島郡寺泊町野積浜にご上陸になり、そこで漁民たちに海水を炊いて塩を作ること、網や釣針を使用して魚介類を取る方法を初めて教え授けられた。漁民たちから手繰彦命ともよばれていて、現代の漁法によばれる手繰網の発祥の由来でもあります。さて、天香山命は上陸地の野積浜から弥彦山脈中の峠を越え、ひとまず桜井郷、現在の弥彦村麓に留まり、やがて弥彦に居を定められて、稲作を始めあらゆる農耕の道と数々の産業の基礎を教え授けられたが、人皇第6代孝安天皇の御代元年2月2日に神去りました。」
【祀られている神社】(以下は祭神名として記載のある神社です。総称がある場合はそちらも参考にしてください)
弥彦神社(彌彦神社)