景行天皇の皇子で、母は播磨稲日大郎姫。同母兄に櫛角別王、双子の弟に小碓尊(日本武尊)がおり、異母兄弟に成務天皇がいる。牟義都(むげつ、牟宜都・身毛津)君の祖。
大碓は、美濃国の美女二人を宮中に迎えるよう父天皇より遣わされるが、密通して復命せず、天皇の恨みを買ってしまう。その後、『古事記』によれば、朝夕の会食に出席しなかったため、厠に入ったところを小碓に襲われ、手足をもぎとられ、薦に包まれて捨てられたとされるが、『日本書紀』にこの話は見えず、景行天皇40年、蝦夷征伐の命を恐れて逃亡し、美濃国に封ぜられたという。
愛知県豊田市猿投町の猿投神社は大碓命を主祭神とし、西宮後方にはその墓が伝えられる。なお同社の伝承によれば、大碓命は美濃に封じられて後、当地方の開拓に尽くしたが、景行天皇52年、猿投山に登る中途で蛇毒のために薨去、時に42歳という。
【祀られている神社】(以下は祭神名として記載のある神社です。総称がある場合はそちらも参考にしてください)
猿投神社