安土桃山時代から江戸時代前期の大名。
幼名は拾丸(ひろいまる)。父は豊臣秀吉、母は側室の茶々(淀殿)。子は側室和期の方(名は伊茶。渡辺氏)との間に国松と、小石の方(おいわのかた。成田氏)との間に天秀尼(生母については異説有)。官位は正二位右大臣。
乳母は宮内卿局、右京大夫局(一説に両者は同一人物とも)、正栄尼が伝わる。また、母・淀殿の乳母である大蔵卿局も姥(養育係)を務めた。
大坂夏の陣にて、豊臣勢を押し返した幕府軍が大坂城内に入城、大坂城内の浪人たちまでが略奪をはじめる。やがて大坂城天守閣が炎上し、秀頼母子は山里丸に逃れるも徳川軍に包囲された。天守閣炎上の前に、大野治長は千姫をひきわたすことで秀頼の助命を嘆願したといわれているが果たせず、秀頼は母・淀殿や大野治長らとともに山里曲輪で自害した。享年23。
【祀られている神社】(以下は祭神名として記載のある神社です。総称がある場合はそちらも参考にしてください)