第8代天皇・孝元天皇の第一皇子で、母は皇后・鬱色謎命(うつしこめのみこと)。 開化天皇と少彦男心命(古事記では少名日子名建猪心命)の同母兄で、 垂仁天皇の外祖父に当たる。北陸道を主に制圧した四道将軍の一人。記紀によれば、崇神天皇の詔により四道将軍の一人として北陸地方に派遣され、土着の豪族たちを平定し大和朝廷の基礎を築いた。またこの出陣の道中、大彦は不吉な詩を歌う不思議な少女に会ったので、引き返してこのこと報告した。倭迹迹日百襲媛命に占わせると、武埴安彦命とその妻吾田媛の謀反を告げるものだった。果たして謀反が起こったが、大彦は彦国葺と共に武埴安彦を討ちとり、吾田媛は吉備津彦命が討ってこれを鎮圧したという。また『古事記』によれば、北陸平定後、四道将軍の一人で東海地方を平定した子の建沼河別命と合流した場所が会津である。(会津地名の由来)。
【祀られている神社】(以下は祭神名として記載のある神社です。総称がある場合はそちらも参考にしてください)
伊佐須美神社